『あ・らいぶらりぃ・おぶ・ざ・すたぁ』:26. 野ウサギの涙
野ウサギの叫び声は野ウサギの後ろを走っていた大きな牙をもった獣の叫び声と融合して不思議な音を創り出した。256人の男たちが叩く太鼓の音がその音に重なりなんだか奇妙に懐かしいリズムが生まれた。僕たちの輪を取り囲むようにして様子を見守っていた女たちと子どもたちがそのリズムに合わせて踊り始めた。その踊りは左右の足を交互に上げたり下げたりして大地を踏みつける舞踏であった。何度か左右の足で大地を踏みつけると軽く跳躍し空中で両手を思いきり空に向かって伸ばし着地すると同時に胸の前で拳を握る。着地する時は両方の足で大地を踏みつける。そんな風に大地を踏む音はドン・ドン・ドン・ドンと規則的な律動を生む。その踊りはまるで大地の上にいることを身体全体で喜んでいるようだった。
僕は真ん中で燃えている焚き木の炎がだんだん巨大化していくような感じがした。巨大化した炎は僕たちを取り囲み轟々と音を立てて燃えている。けれどもその炎には人を焼き尽くす意思は無く僕は炎の中でなんだかポカポカした気持ちになっていく。
<お日様の中にいるみたいだ>と僕は思った。
<お日様の中にいるんじゃよ>と長老が応えた。
<世界には夜と昼がある。我々は何故昼に活動し夜眠るのか考えたことがあるかな?>
僕は炎の温もりから来る快感によって頭の中の考えるための回路が麻痺していることに気が付いてただ首を左右に振ることしかできなかった。<夜は月の思考が支配しており昼は太陽の思考が支配しておる。この月と太陽という二分法も単純なもので月は冷たいものであり太陽は温かいものじゃ。月はこの星の一番近くにポカリと浮かんでいる小さな重力の塊であり太陽はもっとずっと遠くで無限に拡大しておる宇宙の中で強烈な熱と光によって一つの村世界を創っておる巨大な重力の塊なのじゃ。月と太陽では同じ重力でも格が違うのじゃ。月は矮小なものであり太陽は巨大なものじゃ。冷たいものには生物を凍えさせる力があり温かいものには生物を活性化する力がある。もしも満月の光の下で人間が幾日も活動を続けることができたとするときっとココロが凍えてしまって精神を病むじゃろう。もっとも満月の下で幾日も活動することなんて不可能じゃ。月は月齢に支配されていてずっと満月で居続けることなんぞできんでな>
と長老は語るとまたフォッ・フォッ・フォッと笑い、
<見よ。野ウサギを。太陽の光に包まれて泣いておる。お客人すまんがこの瓶の中にあの涙を集めてきてくれんかの>
と僕に小さな瓶を手渡した。僕は256人の輪からそっと抜け出し吼えつづけている野ウサギの側に歩み寄っていった。野ウサギの両方の目から涙がポロポロこぼれていた。僕は野ウサギの頬に小さな瓶の口を近づけた。涙は瓶の中にコロンコロンと入っていった。僕は瓶の中で液体だとばかり思っていた涙が丸い固体であることに気が付いた。野ウサギの涙は瓶の中から溢れるとこぼれて地面に落ち土の中に溶けていった。僕は昔誰かから聞いた雪という物質のことを思い出した。雪はこんな風に地面の中に吸い込まれるという。雪の実体は氷の結晶でその色は白くそして冷たい。僕は瓶の中に溜まった野ウサギの涙を見つめた。その色は白くそして冷たい。僕は瓶を両手で握って256人の男たちの輪の中に戻った。僕が輪の中に戻り長老に瓶を手渡すと同時に256人の男たちは太鼓を打ち鳴らすのをやめ野ウサギと大きな牙を持った獣のように咆哮した。そして女たちと子どもたちの輪と256人の男たちの輪は融合しさらに大きな輪となった。男も女も子どもも老人も一緒になって踊り始めた。僕は踊り輪の中にミューの姿を見つけた。ミューはずっと前から僕を目で追いかけていたようだった。僕たちは離れ離れになっていた二つの星がだんだん近づいていくようにゆっくりと近づいていった。
僕はミューと共に森の中にそっとかくれた。そして森の中で星のように見える地上の穴と遠くに小さく見える祭りの炎を見つめながらひとつになった。
僕の身体はミューの身体の中に吸い込まれていった。まるでアフリカの大地に吸い込まれていくようだと僕は思った。
「野ウサギはアフリカの大地に吸い込まれた後どうなったんだろう」と僕はミューに訊いた。
「きっとあらゆる生命のもととなる大きな種になったのよ」とミューはいった。
「そしてアフリカが再生した」と僕はいった。
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