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Friday, March 07, 2008

OP/白いミワコさん

僕とボスはイブラハムじいさんの店を出た。
「シーフード・スパゲティでもちゃんと全部食べてたね」
僕はいった。
「出されたものは全て食べる、というのが我が家の家訓なんだ」
「なるほど。それで僕が半分残したイカとトマトのスパゲティもちゃんと残さず食べてくれたんだ」
「当たり前だ。何で最後まで食べられないのに大盛りで注文した?」
「最初は食べられると思っていたんだけど、食べているうちにおなかがいっぱいになってしまって」
「思考と行動とのズレだな。どこか悪いんじゃないか?」
「やっぱりそう思う?これからちょっと身体を見せに行きたいと思っているんだけどいいかな?」
「いいも悪いも健康第一だろう」
「それもボスの家の家訓?」
「いいやこれは常識ってものだ」
ボスはいって、
「みんなにはお前は体調不良で先に帰ったって伝えとく」
「青い顔してたって伝えといて」
「それはもともとだろ?」

僕は店のガラスに映る自分の顔を見た。
確かに青い顔をしている。でもこの顔はいつもの僕の顔だ。あまり健康そうには見えない。実際、それほど健康に気を使う方ではない。酒はたくさん飲むし煙草もたくさん吸う。夜は夢ばかり見てよく眠れない。運動は見るのもするのも大嫌いだ。健康というコトバは僕の頭の中では辺境の小さな島の井戸の奥底にひっそりと沈みこんでいる。けれど僕にも身体の声に耳を澄ますことはできる。僕はボスと別れ、ある場所へと足を向けた。そこは身体を見せに行く場所だ。ボスはその場所を病院か何かだと思ったのだろうか?でもその場所は病院ではない。

小さな扉を開けると、アロマの香りが僕の鼻の中に入ってきた。ミワコさんが受付の白い小さなカウンターでペコリとおじぎをした。ミワコさんは身体を見ることができる特別な技術を持った女性である。
「あらら。もうそんな時間だったかしら?」
「今日は特別。身体の疲れが限界を超えたので休暇を取ったんだ」
「いいわねー。自由業の人は」
といってミワコさんは笑った。
「ぜんぜん自由じゃないよ。いつでもクライアントの意見に振り回されて、人形使いに操られているマリオネットの気分になる」
「マリオネットの割には人の意見にはあまり耳を貸さないわね」
「そんな風に見える?」
「そんな風に感じる」
ミワコさんは白いカウンターの端にちょこんと乗っている白いコンピュータに向かって僕の名前をささやいた。白いコンピュータは生き物のようにミワコさんの言葉に応えた。そして僕についての情報をミワコさんに伝えた。
「三ヶ月ぶりね。月に一回は来たほうがいいってアドバイスしたのに」
「どこかの飲み屋のお姉さんと同じことを言う」
「人の話を聴く気がないのなら帰ってもらってもいいのよ」
僕は首を左右に振る。
「身体がさ。ちょっと休みたいって弱音を吐いているんだ」
「じゃあ奥の部屋へ入って。服を脱いでベッドにうつぶせになったら声をかけてね」
僕は言われた通りに奥の部屋へ入る。そこには白いベッドが置かれている。僕は服を脱いで白いベッドの上にうつぶせになる。
ミワコさんが「失礼します」といって入ってくる。僕の背中に大きな白いバスタオルを被せて背中全体を両方の手のひらでゆっくりとさすっていく。身体の中に溜まっているいろんなものがユルユルとほどけていくのがわかる。
「本当ね」
とミワコさんはいう。
「身体が弱音を吐いている」
「わかる?」
「もちろん。それでね、身体の上をたくさんの異形のものたちが這い回っているの」
「そんなにたくさんいるんだ」
「たくさんいるわよ。彼らは私の手のひらに向かって攻撃してくるの。来るなら来い、この身体は我々のものだ。お前の力なんかに我々は屈しないぞって言いながら、無数の小さな棘を出して私の手のひらに突きたてて来るの」
「痛い?」
「ぜんぜん。ゾウリムシの繊毛みたいなものだもの。彼らの棘は私の手のひらに触れた瞬間に溶けてなくなるの。そうしてだんだん棘がなくなっていくうちに彼らは自分の存在理由がわからなくなってくるの」
「武器を持っていることが彼らの存在理由なんだ」
「ううん。そうではなくて、武器を持って戦うことが彼らの存在理由なの」
「何のために戦っているだろう?」
「そりゃあ新しい土地を征服するためよ。戦うことの理由はそれしかないわ」
「僕の身体は新大陸なんだ」
「まあそうゆうことね。だから月に一回はここに来て武装解除させなくちゃならないの」

僕は知らないうちに眠ってしまっていた。
ミワコさんは僕の身体の上で自分たちの街を作ろうとしていたものたちの力を無力化していった。そのものたちは誰の身体の中にもいるのだという。ただ彼らの存在に気が付く人と、まったく気が付かない人がいるらしい。彼らの存在に気が付いた人は何とかしようとする。でも気が付かない人はそのまま自分の身体を彼らの思うままにさせてしまう。最初はどうってことはないのだけど、だんだん自分の身体が自分の身体ではないような気分になってくる。それは当たり前の話で、そんな風に感じだしたときには自分の身体は自分の身体ではなく、彼らのものになってしまっているのだという。異形のものたちの王国ができるのだと。

目が覚めると、僕は眠りに落ちたときと同じように、ベッドの上でうつぶせになっていた。眠る前には自分の身体が自分の身体ではないような気分だったのだけど、今はそこに僕自身がいることをちゃんと感じることができた。
僕はベッドから起き上がり服を着て部屋を出た。
白いカウンターでミワコさんがニコリと笑った。
「月に一度は武装解除させなさい」
とミワコさんはいった。

この場所はあらゆるものが白で統一されている。
ミワコさんは目が見えない。
けれども僕には見えないものを、たくさん見ることができる。

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