映画ノヲト/『ティファニーで朝食を』_僕の好きなホリー。
今日の映画ノヲトはちょっと昔の映画です。
オードリー・ヘップバーンの1961年の映画。
『ティファニーで朝食を』。
主人公はホリー・ゴライトリーという女の子である。
ホリーの夢は大金持ちの男と結婚して幸せに暮らすこと。
ホリーは自分自身の夢を実現するために、
金持ちが集まるパーティにはおしゃれをして出かけて行く。
一度はエージェントの目にとまり女優としてデビューする
話もあったのだけど、
彼女にとって女優という仕事はカゴの中の鳥のような
きゅうくつなものに感じたのかもしれない。
とにかく彼女は女優ではない。
ホリーは猫といっしょにアパートで暮らしている。
彼女は猫のように自由気ままに生きている。
猫のように自由気ままに生きること。
これは簡単なようでいて、なかなか難しいものである。
もしも「自由気ままに生きてみたい!」という気持ちが、
心の中にちょっとでもあるならば、
どのようにしたら自由気ままに生きることができるのか?
と更に深く考えてみればいいかもしれない。
ホリーは自由気ままに生きるために、
自分の過去を捨てた人間として描かれている。
自分の過去を捨て、夢に向かって歩いて行くのだが、
その夢はとても柔らかな不確実なものであり、
自分自身本当にその夢を求めているのかもわからない。
夢を実現させるためにはある種の知性が必要である。
知性がなければ運命に身を委ねてしまうことになる。
それはいつまでたっても当たらない宝くじを
買い続けるようなものだ。
また夢というのは不思議なもので、
遠くにあるうちはそれに向かってゆっくり歩いていればいいのだが、
夢が向こう側から近づいて来たとたんに
急に怖くなってしまうものであるらしい。
だから夢を実現させるためには知性が必要となる。
知性を持った人間が戦略的に行動した場合にのみ、
夢は現実のものとなるのではないだろうか?
『ティファニーで朝食を』。
原作はトルーマン・カポーティである。
原作の中のホリーは映画の中でオードリー・ヘップバーンが演じた
ホリーとは少々(まったく?)異なっている。
原作の中のホリーも、映画の中のホリーも自由気ままなのだけど、
原作の中のホリーの方が更にぶっとんで自由気ままなのである。
自由奔放といったほうが良いかもしれない。
僕はカポーティが描いた自由奔放なホリーの方に、
より魅力を感じる。
でも実際にみんなが好きになるのは映画の中のホリーのような
オードリー・ヘップバーンのようにちょっとかわいい女の子の
方なんだろうなと思う。
夢を実現させる重要な要素である知性についても、
原作の中のホリーと映画の中のホリーとでは、
大きな差異がある。
原作の中のホリーは常に戦略的にものごとを考えている。
誰かを愛することも彼女の戦略の一部なのだ。
二人のホリーの差異は、文学と映画(特に1960年代)の差異である。
文学は個人的なものであり、1960年代の映画は大衆のものなのだ。
映画『ティファニーで朝食を』のホリーは
大衆から好感を持たれるように仮面をかぶっていたのである。
その仮面はホリーがドラッグストアで万引きした仮面のように
ちょっとキュートな顔をしている。
(TOYOKUMA)
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